漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

農業者の共同組織について考える

 私は定年退職後、酪農家が組織するたい肥の生産・販売組織に1年間お世話になった。この組織は、酪農家数名により30年以上前に組織化され、法人化された。その法人がこの3月に解散するという話を聞き、今まで組織継続に努力されてきた経営者に話を聞きに行った。私の問題意識は、農業の課題解決を目的に、現場でたくさんの組織がつくられていながら、多くが次に引き継ぐことができずに、解散を余儀なくされるのはなぜなのかという点にあった。

 この組織についていえば、当初は急激に進められる規模拡大(乳牛の頭数拡大)により毎日発生する糞尿に対応するために、地域の酪農経営者が集まり、組織として解決に当たったのがスタートである。一定の処理施設に、日常発生する糞を集め、そこで植物残渣、もみ殻、おがくずなどの副資材を混入し、数回の切り返しを行って、「売り物」としての堆肥を生産し、袋詰めしたものは、系統組織や商社、直売所などに販売し、地域の農家には、直接販売や散布作業を請け負ってきた。もちろんこの過程において、相当の補助金が投入されている。
 しかし一定の顧客は確保できたが、販売は安定化せず、人件費や機械・施設費の確保におわれて、年月は過ぎていった。経営者は、今まで法人へ資金を補填したことはあっても、それが返ってきたことは一度もないという。その間の施設等の更新・充実は最低限にとどまり、従事者も高齢化していった。

 なぜ、次の世代に引き継ぐことができなかったのか聞いてみた。
「自分達の場合は、酪農経営自体についても、自分たちで始めた事業という意識だった。それを一つずつ進めていくという過程にこの事業も位置づけられたのだが、後継者にとっては、現在の状況は生まれたときから存在した当たり前のものだというのが大きく、彼ら自身のものとしてとらえられなかったのが大きい。」
 結局、親の思いを十分に伝えられなかったのかなと感じた。家族経営でありながら、世代ごとに意識は異なり、課題の認識は共通化されなかった。後継者が家に入った頃は、酪農の情勢も登り調子で、次の世代に上手に引き継げた事例も多かったが、法人構成員の中には、酪農をうまく引き継げなかった家も多く、絶対的な人数も確保できなかった。経営的に支えきれず、かつ次の世代への引継ぎもできなかったことが組織の解散につながっていったと思った。

 設立当初の問題は、今後どうしていくのか聞いてみた。
「始めたころは、副資材を投入して、十分切り返せばいい堆肥ができると思ったけれど、糞の水分が多すぎていいものができず、良好な販売に結び付かなかった。そこで、構成員の家それぞれに乾燥ハウスを導入し、水分含量を落としたものを原料として使うことにした。今では、その原料をタネとして使い、そこに水分の多い糞を混入することで、自宅でたい肥生産が可能になった。副資材を使わないため、全体の量も減り、市販堆肥の品質までいかなくても、自分の家や地域で使ってもらうためには十分なものになっており、今後は十分対応できると思う。」

 農業者の共同組織を続けていくための課題は、次世代への引継ぎ以外に何が必要なのか聞いてみた。
「法人といっても、農家のオヤジがただ集まっただけでは運営できない。自分はもうけが出てはじめて役員報酬をもらえるという考えだったが、誰もがそう考えるわけではなく、当然の権利として役員報酬を要求したりする人もでてくる。つまり、スタート時点で共同経営をするための考え方を共通化するということが絶対必要だと思う。自分たちの法人では、その点が欠けていた。」

 農業者の共同組織化は、個別経営を補完し、また発展させるための一つの手段として欠かせない。しかし、組織化自体が到達点ではなく、その状況は常に不安定であると考えるべきである。現役であった時、私は農業改良普及員としてはたしてそのように考えて活動していたのであろうか。後輩は、状況に常にコミットして、必要な支援を適宜行うよう希望したい。
 また、今回のように、事業自体をやめなければならない場合も当然出てくるが、行政はこの点に関する配慮が決定的に不足しており、ぜひ検討してほしい。弱い経営者を廃業させて、強い経営者だけを残す政策は、全体をだめにする。