漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

その地の農業を伝える

 先日、私の高校時代の旧友鈴木一誌君がなくなった。彼は高校卒業後大学に進学したが、そこを中退して、杉浦康平のアシスタントとなり、その後独立して事務所を構え、今日まで多くの本のブックデザインを手がけた人である。写真評論、映画評論の方面でもたくさんの実績がある。働き盛りの年齢だったが、コロナの時代を乗り切ることができなかった。

 私は自分の人生のさまざまな場面で彼に助けられたが、次にその一つを紹介したい。

 彼が30代半ば、独立した当初に私は彼の事務所を訪ねた。用件は、「農業副読本」作成の依頼である。私は普及員として木更津の事務所で活動していたが、この当時は、農業者の社会的評価を高めようということで、各県に農業士なる制度が生まれた時代である。担当になった私が最初に手がけたのは、県知事が認証した農業士の方たちをいかに地域に根付いた存在にするかということである。担当していた袖ケ浦市で農業士の組織化を図り、そこではじめての事業としてとりあげたのが、この「農業副読本」づくりである。

 この袖ケ浦市というところは、千葉県の内湾地帯であるが、さまざまな形の農業がある。農業士の方たちの経営もさまざまであるから、彼らに共通するものといえば、それは自らが営農する場所、すなわち地域である。この地域があってこそ営農が成り立つ。組織の課題として取り組まなければならないのは、「地域の住民に自らの営農を語りかける」ことではないかと私は考え、この「農業副読本」づくりを提案した。

 やり方はこうである。まず会員の方たちを経営類型別にグループ分けした。経営類型別に分けると、互いの経営への関心も深まり、より具体的な形で取り組めるようになる。そして、そのグループから1戸を代表として取りあげ、その人の家族、農業、生活などを語ってもらい、それを整理する。それをもとにグループ員が質疑応答、ディスカッションを繰り返す。その過程で内容はどんどん深まり、市内の代表的な農業の形が浮き彫りになっていった。

 私はこの取り組みを通して、小学生に市内の農業を具体的な形で知ってもらうとともに、農業者自身が誇りをもって営農してもらえる形をつくりたいと思った。そのためには、シロウトがタイプ打ちをしたものを冊子化するのではなく、プロのデザイナーに依頼して、自慢できるようなものをつくる必要があると考え、当時デザイナーとしての地位を固めていた鈴木君に頼みに行ったのである。その結果、他では見られないユニークな農業副読本が完成した。これは市内の全小学校に配布されたが、継続的に予算化することができず、たぶん今は図書室などに眠っているのではないかと考えている。

 私が当時夢見たのは、この副読本をもとにして、市内の農業者が、小学校や中学校で自らの営農を語ること、そして、組織活動として内容を順次更新して、次の世代につなげていくことだった。