漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

農業で人を雇う

 農業の現状を見ると、私が10年以上前に感じていた状況とそれほど違っていない気がします。すなわち、農産物価格の上昇は思ったほど見込めず、資材価格は上昇傾向。このためには規模拡大をして利益を確保しなければならないが、規模拡大をねらっても、金融不安のために、経営の不安定化を招くというようなことです。

 最近私は、農業の雇用というのは一般企業と違っていいのではないかと考えるようになりました。これまで農家は、利幅の低下を克服するために規模を拡大し、作業量の拡大に伴い、可能な部分はできるだけ機械化し、機械化が難しい作業は雇用労働力を活用し、安定した雇用環境を整えるために、農閑期と農繁期の差を少なくするような品目や作付け体系の導入を図ってきました。また、選果・調整作業については、農協を中心に共同での取り組みを進めてきました。経営的対応としては、ごく自然な正しい方向性だと思います。

 しかし、「雇用」という問題を考えてみると、農家の雇用状況は一向に安定しません。賃金、休日、年金などについては、今はどの農家も真剣に取り組んでいます。条件を整え、必要な技術・知識を提供し、本人の農場内での役割も明確化し、多くの期待をしながら雇用しているにもかかわらずです。これはいったいなぜなのでしょうか。

 農業とは、企業形態からいえば、ほとんどが中小企業といえます。中小企業の強みは、ユーザーの持つ細かいニーズへの対応力・技術力にあります。そして、農業についていえばユーザーに提供したいものは、豊かな季節性であり、それを基本にした暮らし方です。つまり、経営としては季節感をなくす対応をすることがベストかもしれないが、農業それ自体の価値はそこにはありません。

 重要なのは、雇用されている人自身が、消費者に提供する価値をいっしょに感じ取れるようになることが大切なのではないか。つまり雇用されている人に対して、一般企業と同様の価値(例えば、企業内での自分の位置づけのアップとか、生産物の品質向上とかなど)を与えることではなく、経営者の喜びを共有できるようにしていく工夫をしたいものです。

 もちろん農業は中小専門企業なのだから、地域の中で協力し、お互いの相違点を補っていくシステムを整備することは当然求められることです。最後に、次の部分を引用しておきます。

 1つは、農業版ハローワークのシステムをしっかりと守ることです。どうしたらこのシステムをもう少し使いやすくできるか、そのためには何が必要なのかについて、皆さんで知恵をだしあってください。出会いのシステムは絶対に継続させるべきです。
 2つめは、農閑期対策です。そのためには、経営の形がちがう農家が集まって雇用することが必要です。つまり同じ生産をしている機能的な集団というより、いろいろな生産をしている地域的な集団が力を発揮するでしょう。(メモリー普及活動レポートより)