漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

地元に根付いた農産加工

 千葉県栄町は、成田市印西市と接していて、北側に関東の大河「利根川」がある千葉県でも指折りの穀倉地帯です。2013年9月、この地域で大規模な水田営農を展開している鈴木さんの後継ぎの夏実さんにミニコミ誌「漣」の原稿を依頼しました。

 鈴木家が位置する千葉県の印旛地域は、現在では見られなくなりましたが、昔から「行商」という特徴的な営農をしています。この行商については、また改めてお伝えしたいのですが、行商農家の中には、朝早く駅に集まり、自分で生産しているものだけでなく他の人の生産物と商品の交換などして中身を充実させ、近隣の駅で販売したり、中には大きな荷物を背負って電車に乗り、東京まで販売に行く人もいました。そしてこの行商品は生鮮野菜だけでなく農産加工品が大きなウエイトを占めていました。

 夏実さんが就農した当時、父の芳一さんは地域の水田農業の担い手として規模拡大をしながら営農充実を図っていましたが、夏実さんの祖父母は主力品であるコメを餅などに加工して生産・販売していました。

 夏実さんが就農した頃は、年齢の関係から祖父母も行商に行くことが負担になった頃で、加工場をつくり、近くの直売所などで販売するようになっていましたが、この財産を彼女が上手に引き継いだのです。

 この時の様子について、彼女はつぎのように書いてくれています。

加工品は定休日(月曜日)以外、毎朝、大騒ぎしながら作っています。祖父母やパートさん達と一緒に、切餅・赤飯・山菜おこわ・団子・おにぎり・あげせんべいと色々なものを作っています。加工品は直売所4店舗、スーパー6店舗に卸させてもらっています。また、町のイベントや大型ショッピングセンターでの直売会などで販売をさせてもらっています。

 そして、2021年1月に加工部門を法人化して、株式会社「わたや」を設立しました。

株式会社「わたや」の加工場と加工品のあげもち

 その後、「わたや」はどう歩んできたのでしょうか。一番の変化は、販売先が拡大したことです。ある時、突然父が「勝手に」話をつけてきたというようなことでしたが、八千代市の道の駅と八千代市農協の直売所への販売が拡大しました。八千代市の道の駅は、県内でも指折りの規模ですが、彼女が生産しているような加工品に対する需要が大きく生産者も少ないことから、父の芳一さんが八千代市の農家の方から相談を受けて、「わたや」の製品を納めることになったということです。またこのつながりから八千代市農協の直売所には、だんごだけを限定して出荷するようになりました。彼女の話によると「和菓子屋さんの場合は、自分の店舗だけで売っているケースがほとんどなので、和菓子類は、いわばスキマ産業なんです。」ということのようです。

 「漣」に寄稿していただいたときには、同級生の女性を定雇としたことを契機にして法人化し、ゆくゆくは雇用者の数も増やして拡大をしていきたいという希望がありました。その点はどうなったかしら・・・・。この点、現在の考えはだいぶ変わったみたいです。いわば彼女は「職人としての意識」に目覚めたようで、「やっぱりこういう仕事をほかの誰かがやるっていうのは好きになれない感じです。今は、人を雇って仕事をシステム化して拡大していくという方向ではなく、自分のやれる範疇で事業を充実させ、地元に根付き、ここで認知度を上げてゆきたいというのが目標です。」
 就農した当時、彼女は地元の小学校で学童保育の仕事もやっていました。しかし、小学校が合併し地元になくなったこともあり、この仕事もできなくなったようです。

 事業規模が拡大したことから、自分自身が水田作業に携わる部分が縮小し、ほとんど通年、加工のしごとに大忙しの夏実さんですが、話を聞かせてもらい、何か少しさびしさも感じました。ここからは私の想像ですが、10年前は、雇用者ではあっても同級生のパートナーがいたことで、ほっとするひと時が今よりあったのではないか。さらに小学生を相手にした「食育活動」に取り組み、子供やお母さんたちから刺激をもらい、自分の仕事が元気づけられる瞬間というものが多くあったのではないかなと思いました。

 「加工品の生産は他人に頼めない」という自分の生産品への誇りを持つことは大切なことですが、多くの人とのネットワークを大切に、「わたや」ならではの今後の発展を期待したいと思います。