漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

地元に根付いた農産加工

 千葉県栄町は、成田市印西市と接していて、北側に関東の大河「利根川」がある千葉県でも指折りの穀倉地帯です。2013年9月、この地域で大規模な水田営農を展開している鈴木さんの後継ぎの夏実さんにミニコミ誌「漣」の原稿を依頼しました。

 鈴木家が位置する千葉県の印旛地域は、現在では見られなくなりましたが、昔から「行商」という特徴的な営農をしています。この行商については、また改めてお伝えしたいのですが、行商農家の中には、朝早く駅に集まり、自分で生産しているものだけでなく他の人の生産物と商品の交換などして中身を充実させ、近隣の駅で販売したり、中には大きな荷物を背負って電車に乗り、東京まで販売に行く人もいました。そしてこの行商品は生鮮野菜だけでなく農産加工品が大きなウエイトを占めていました。

 夏実さんが就農した当時、父の芳一さんは地域の水田農業の担い手として規模拡大をしながら営農充実を図っていましたが、夏実さんの祖父母は主力品であるコメを餅などに加工して生産・販売していました。

 夏実さんが就農した頃は、年齢の関係から祖父母も行商に行くことが負担になった頃で、加工場をつくり、近くの直売所などで販売するようになっていましたが、この財産を彼女が上手に引き継いだのです。

 この時の様子について、彼女はつぎのように書いてくれています。

加工品は定休日(月曜日)以外、毎朝、大騒ぎしながら作っています。祖父母やパートさん達と一緒に、切餅・赤飯・山菜おこわ・団子・おにぎり・あげせんべいと色々なものを作っています。加工品は直売所4店舗、スーパー6店舗に卸させてもらっています。また、町のイベントや大型ショッピングセンターでの直売会などで販売をさせてもらっています。

 そして、2021年1月に加工部門を法人化して、株式会社「わたや」を設立しました。

株式会社「わたや」の加工場と加工品のあげもち

 その後、「わたや」はどう歩んできたのでしょうか。一番の変化は、販売先が拡大したことです。ある時、突然父が「勝手に」話をつけてきたというようなことでしたが、八千代市の道の駅と八千代市農協の直売所への販売が拡大しました。八千代市の道の駅は、県内でも指折りの規模ですが、彼女が生産しているような加工品に対する需要が大きく生産者も少ないことから、父の芳一さんが八千代市の農家の方から相談を受けて、「わたや」の製品を納めることになったということです。またこのつながりから八千代市農協の直売所には、だんごだけを限定して出荷するようになりました。彼女の話によると「和菓子屋さんの場合は、自分の店舗だけで売っているケースがほとんどなので、和菓子類は、いわばスキマ産業なんです。」ということのようです。

 「漣」に寄稿していただいたときには、同級生の女性を定雇としたことを契機にして法人化し、ゆくゆくは雇用者の数も増やして拡大をしていきたいという希望がありました。その点はどうなったかしら・・・・。この点、現在の考えはだいぶ変わったみたいです。いわば彼女は「職人としての意識」に目覚めたようで、「やっぱりこういう仕事をほかの誰かがやるっていうのは好きになれない感じです。今は、人を雇って仕事をシステム化して拡大していくという方向ではなく、自分のやれる範疇で事業を充実させ、地元に根付き、ここで認知度を上げてゆきたいというのが目標です。」
 就農した当時、彼女は地元の小学校で学童保育の仕事もやっていました。しかし、小学校が合併し地元になくなったこともあり、この仕事もできなくなったようです。

 事業規模が拡大したことから、自分自身が水田作業に携わる部分が縮小し、ほとんど通年、加工のしごとに大忙しの夏実さんですが、話を聞かせてもらい、何か少しさびしさも感じました。ここからは私の想像ですが、10年前は、雇用者ではあっても同級生のパートナーがいたことで、ほっとするひと時が今よりあったのではないか。さらに小学生を相手にした「食育活動」に取り組み、子供やお母さんたちから刺激をもらい、自分の仕事が元気づけられる瞬間というものが多くあったのではないかなと思いました。

 「加工品の生産は他人に頼めない」という自分の生産品への誇りを持つことは大切なことですが、多くの人とのネットワークを大切に、「わたや」ならではの今後の発展を期待したいと思います。

体験農園の実際を見学 (清水菜々園・・ほがらか塾)

 体験農園の売りは「農業生産を体験すること」「生産した農産物を味わえること」ですが、さらなる売りは「農業のプロにサポートしてもらえる」ということでしょう。
農業者の側から言うと、自分のサポートによりきれいに農地を保全できるということと、消費者との交流により経営に対して新しいヒントが得られるということになるでしょうか。

 体験農園「清水菜々園ほがらか塾」の講習会におじゃましました。彼は週末に同じ内容の講習会を3日間行っています。今日は、「ほうれん草・小松菜・小かぶ・二十日大根の種まき」です。
開始時間前に行くと、園主(清水さん)は、利用者が使う資材を点検、準備しており、訪れた利用者の中には、事前に印刷された資料やホワイトボードに書かれている講習内容を読み、必要な準備を個々に始めている人も見られました。10時きっかり講習会スタート。私の周りを見ると約20名程度の人が椅子に座っています。

「はじめに割り箸を利用して、となりの人との境界を決めます。」
「次に用意した石灰(白色)と肥料(茶色)を鍬で混ぜます。これは境界を多少はみ出してもかまいません。」
「次に平畝をつくります。これは毎回やる基本の作業です。畝の外側の土を内側に掘りあげ、5〜10㎝の高畝を作ります。真ん中に雨がたまらないように平らにします。」
「平らにしたらこの板で鎮圧し、12㎝間隔で播き溝を作り、種をまいたあと土をかけてさらに鎮圧します。これにより水分が上がり、種は発芽しやすくなります。」
「溝の深さは種子の厚みの3倍といいますが、あまり深いと発芽しにくいです。」

座学講習後に圃場へ

 作業手順にしたがって、資料の流れに添い説明し、さらに必要なことはホワイトボードに書いてあります。作業の持つ意味は、講義を聞かないとわかりません。
 話は小松菜に多いシラサビ病やホウレンソウのべと病の予防にうつり、農薬についての説明も行ないました。そのあと、「シラサビ病は食べても人間に害はありませんが、病気になったものは市場にはだせません」と説明し、「シラサビがあっても気にならない人はまかなくてもいいです。」という説明が続きました。サンサンネットを掛けるところまで、一連の説明が続きます。

 説明が終わった後は、現場に出て、実際に順序通りにやって見せます。農作業は組み作業により確実に効率が上がります。外の作業では、奥さんと息の合った作業ぶりがみられました。講習会が始まって約40分で終了しました。

 農業者は農業のプロであり、毎日ずっと農作業をしていますが、一つ一つの作業の意味を考え組み立て、それを人に説明するということはとてもむずかしいことです。私はこの40分間の講習のために、清水さんがさまざまな工夫をされていることを実感しました。
 まず第一に栽培の手順が一目でわかる資料を作る。第二に作業の意味や内容については、ホワイトボードを使いながら、座学の講習の中で説明する。利用者は、必要に応じて資料に書き入れます。そして第三に実際に圃場でやってみせる。
 講習の進め方の3ステップの組み合わせはじつに見事なものでした。

 講習の中で彼は「ホントは水はやらなくても大丈夫。でも水をやりたい皆さんの気持ちもわかります。」といって、播種、覆土、鎮圧後に水をかけていましたが、相手の気持ちをくみながら、上手に教え、「発芽すれば水はやる必要ないですよ。」と付け加えました。
 体験農園は、利用者に預けっぱなしの農園ではありません。常に自らにも責任がついてまわる農園ともいえます。しかし、そういう中で、利用者との交流はより深まり、この講習のための準備は非常に手間がかかりますが、自らの技術自体も高めるのだということを実感した時間でした。

体験農園は順調

 市川市の清水浩大さんのお宅は、松戸市との境にあり、典型的な住宅街。しかし、そこにはまだ意欲の高い農業者が頑張っています。10年前に清水さんは農業ミニコミ誌「さざなみ」に寄稿してくれ、ご自身が始めた体験農園について紹介してくれました。

彼の始めた農業体験農園は、「清水菜々園ほがらか塾」といいます。開園は、東日本大震災の起きた2011年です。体験農園のシステムは、東京都練馬区で行われていたものを参考にしてつくりました。寄稿記事の中で清水さんがこの農園について紹介している文章を引用します。

 

「農業体験農園は、農家が作付けの計画をして、農具、資材、種苗、肥料を用意し、講習会と実演で指導をします。市民は手ぶらで種まき〜肥培管理〜収穫までの野菜作りが楽しめます。できた野菜は全て入園者が買い取るしくみです。」

 

 具体的に見てみましょう。

 1区画は30㎡(3×10m)で、園主(清水さん)が畑を9分割して畝を作り、どこに何の野菜を作るのかを計画し作業日程も決めます。講習会を金、土、日曜日、同じ内容を1週間に3回行い、春に10週、秋に8週と計54回開きます。これを受けて入園者は自分の区画畑で作業を開始するというわけです。収穫した農産物は各自家に持ち帰ります。入園料は1区画46,000円です。

住宅地の中の清水菜々園と講習のホワイトボード

 10年を過ぎ、この体験農園は今どうなっているのかを知りたくて、先日農園におじゃましました。3月初めだったので、ほとんどの野菜は植え付け前の状況でしたが、広々としてきれいに区画された畑が、住宅地の中に広がっていました。当初50名から始めた農園は、現在では103名となっており、引っ越しする人や年齢のためにリタイヤ―する人もいるそうですが、この割合は10〜15%程度で、引き続き利用する人が多いようです。利用者は近隣の市川市松戸市が中心ですが、都内から電車で来る人も多く、当初からの利用者が半分くらい続いているそうです。かなり着実に発展してきているという印象を受けました。

 

 この体験農園の取り組みはとてもユニークなものですが、ものづくりの面白さというのは「自ら計画する」ことなのではないかと私は思います。人が作った作付け計画にしたがって生産することに関して利用者の不満はないのでしょうか。この点について聞いてみたところ、毎年アンケートをとって若干内容を修正する場合はあるが、なかなかすべてには応えられていない。システム的に見ると、「自分で計画して生産したい」という形は、現状の体験農園の形にはなじまず、コンセプトが異なってしまうのでしょう。利用者の目的は、手軽に自ら農産物を生産し、それを味わうところにあり、農家はこの利用者の欲求実現をサポートするところに体験農園の意味があるのだと思いました。そして農家は、これにとりくむことにより、景観的に農地を保全し、同時に自らの営農の場を確保し、消費者に農業をより理解してもらうための道筋をえることができるということですね。

 始めた当初、他の農園で体験してきた方と初めての方との間で多少問題が起きたことがありましたが、「となりの区画まで誤って収穫してしまった、どうしたらいいか」という相談を受けたくらいで、利用者同士のトラブルはほとんど見られないようです。

 

 体験農園に取り組む農園は今では岩手県から福岡県まで全国で160を超えるということです。県内においても、松戸、習志野船橋などの東京近郊中心に9つの農園があります。10年前、清水さんが書いてくれた記事には、「長男が大学を卒業後会社勤めすると決めたことを契機に体験農園開設の準備を開始しました。」とありましたが、その長男の方も10年間勤めて退職し、現在では張り切って就農しているそうです。毎年、50日以上の講習会の準備をし、農園での生産状況を把握してサポートすることは容易ではないでしょう。しかし、都市の有利性を活かしたとても素晴らしい取り組みだと改めて感じました。

市民と共存する農業

染谷農場とさんち家(H.Pより)

 柏市の染谷さんに「漣」への執筆をお願いしたのは、福島の原発事故から2年を過ぎた2013年9月で、染谷さんが15名の農業者とともに、農産物直売所「かしわで」をスタートさせて、もうすぐ10年がたつという頃でした。
 順調だった直売所経営がリーマンショックの影響で月間売り上げが前年度割れとなり、残留農薬の検出問題により一時営業を休止するなどの過程を経てようやく立ち直りかけた2011年春、福島原発事故で発生した放射能が風の関係で柏市上空を襲い、ホットスポットになったというニュースが流れました。これに対し、市民の反応は思った以上に敏感で、柏市内で生産される農産物が一部で敬遠されるようになってきました。そこで「かしわで」では放射線の簡易測定器を用意して農産物の放射線量を測定し、市民との円卓会議で確認された基準値以内のものを出荷するという体制を整えて、販売に努力しましたが、風評被害はなかなかおさまらず、売上は3割減という状況になり、はじめての赤字決算となりました。そこで、2012年に有識者、行政、消費者の代表で組織する「安心・安全プラン推進委員会」の組織化を提案し、市民と共同したネットワークを作り上げました。委員会からの「農業者自身が放射能についての知識を持つことが大切である」の提案を受けて、「かしわで」は生産者を対象にした研修会も実施しました。

 先日染谷さんをお訪ねし、このような組織内での取り組みと市民との連携の形が今はどうなっているのかについてお聞きしました。「かしわで」の構成員数は1名減少し14名となり、出荷者数は以前と同様の200名ということで、規模に大きな変化はありません。しかし、内容的には大きく変動しているようです。現在、放射能をはじめとした「安心・安全農産物」の提供に関わる問題は克服され大きな問題とはなっていませんが、近隣スーパーに産直コーナーが作られることで、消費者だけでなく、生産者もこれに大きな影響を受けているようです。農産物直売所の基本的な約束事として、売れ残ったものは生産者が持ち帰るということがあります。しかし、スーパーの場合は、全て引き取り、価格を下げても売り切るという体制です。スーパーのバイヤーらしい人を店内でよく見かけますが、商品をチェックして、後日、個別に生産者に当たっているようです。そのせいか生産者は午前中に「売れ残らない量だけ」かしわでに出荷するようになっているようになって、午後の品ぞろえに問題がでてきています。

 放射能風評被害に対して、直売所組織として一定の対応をしてきた「かしわで」では、その波が静かに引いていくにつれて、「風評被害対策」のような後ろ向きの対応ではなく、もっと前向きの対応をしていこうということになり、女性の出荷者を中心に、店のパートさんをまじえて、「ハッピーテーブルクラブ」という組織をたちあげました。当初は地元野菜のレシピを作り、イベントなどで食べてもらうという形でしたが、年に数回のイベントでは意味がないという形で話しが発展し、2016年にレストラン「さんち家」をオープンさせました。「さんち」は産地のものをつかうという意味だけでなく、「〜さんちの」という意味を含んでいるようです。このレストランは、パートさん中心に運営されているため、営業時間は「11時〜3時」の4時間で、地元野菜が中心のレストランなので「肉や魚を使わないメニュー」での提供らしいです。コロナの前は1日4時間でお客さんが270〜280人来ていたということです。

 このように、「かしわで」には、放射能問題以降、さまざまな新しい風が吹き始めました。しかし、染谷さんは今後国の食糧確保に関して大きな危機感を持っています。一番感じているのは農業者の減少です。染谷さんが現在耕作している水田の地主あるいは地主だった人の数は350件だそうです。「これだけの人が農業から離れている」といいます。
 さらに「台地も荒れてきた。もう畑作は出来なくなってきており、トラクターにも乗れない人がでてきている。できるだけそういう方の役に立とうと思うが限界にきている」という話しです。「国は規模の小さな農家を減らして大きな農家に集めると言うが、減少する農家の数が予定した人数で終わればいいが、そうはいかない。安定した食糧確保のためには、もっともっと人が必要なのだ。」こう染谷さんは訴えています。大規模農業を実践している染谷さんからこういう話しがきけて、とても嬉しくなりました。
 直売所は、生産者の楽しみであるだけでなく、生産者と消費者がじかに触れ合える大切な場所だといいます。放射能の問題で、消費者とのいいルートもできました。さらに交流事業にも積極的に参加し、栄養士をはじめ学校関係者との連携も強まっています。誇りをもって営農する農業者が増えることを染谷さんとともに祈りたいと思います。

 

つないでいきたい・・農村の組織活動

 2015年5月の「漣」の巻頭言は、君津市の榎本冨美雄さんが書いてくれた。内容は、千葉県ではじめてできた君津市の認定農業者協議会についてである。1995年に榎本さんが中心になって設立された協議会は、この年20年がすぎ、消費者と連携する農業を柱に次々と新しい試みを展開していた。
 もっとも有名になったのは、エダマメの収穫祭である。1本の荒縄を500円で求めていただき、束ねられるだけ収穫してもらうというイベント。250aの収穫がわずか2日で終了した。また、地元の小学生、市民を対象にした稲作体験を実施し、収穫したお米を市内全部の小学校の給食一食分を贈呈。また市内郵便局長から提案された市内農産物、加工品の宅配事業「フレッシュボックス」事業も始まる。消費者から注文を受けたフレッシュボックスを、郵便局員が配達してくれるという仕事で、2005年には3000ケースを売り上げたという話しも紹介してくれた。

上昇一途の君津市の認定農業者

 先週、今は次世代に活動を譲っている榎本さんに話しをうかがったが、農村での組織活動を継続する難しさが垣間見えた。コロナ禍の影響でしばらくやれなかったエダマメ収穫祭が4年ぶりに昨年行なわれたが、播種の深度が不十分で夏の暑さも予想以上だったせいで、エダマメの勢いが草の勢いに負けてしまい、充分な生育にならなかったらしい。それに加えて、当初荒縄1本500円で始めたイベントの料金も値上げしたため、参加者の評価もあがらずに、苦情も寄せられたということだ。
 榎本さんは、イベントは「儲けよう」と思ったらダメという。「農家の思い」を市民に伝えるためにしていることが逆になってしまったと話す。
 稲作体験は、5年生を対象にした形で継続しており、お米は「君津のコシヒカリ」を全小学校へ給食一食分届けられている。フレッシュボックスの事業は、地元の郵便局員が、郵送で使うトラックを活用して運んでいたが、傷んでしまう農産物もでてきて、クレームが寄せられ、現在は行なわれていない。事業は、農協が「まごころボックス」という名称で受け継いだが、あまりアピールせず伸びていないようだ。

 このように、ある意味華々しく展開していた組織活動はちょっと壁にぶつかっている印象を受けた。榎本さんに、なぜ、こういった活動を始めたのか聞いてみた。


 いちばん大切なのは、君津市には水稲、野菜だけでなく、鶏卵、酪農、花きなどいろいろな生産者がいてこれらすべてが集まる組織がほしかった。自分たちの思いを集めて、胸を張って農業ができるために、行政などにも意見を言っていく、そして無視されることなく聞いてくれるそういう組織が必要だと思った。


 話を伺っていて、当初ねらった組織活動にはなったと思うが、現在はその「形」だけが次の世代に伝わっていて、「思い」は必ずしも伝わっていないように感じる。次を受け継いだ人たちは「形」だけを受け継ぎ、「思い」を受け継ぐことはできないと思う。「受け継ぐ」組織活動ではなく、「創り出す」組織活動へと常に変化していくことが重要に思えた。組織の構成員は変化し、したがってその背景にあるそれぞれの事情や思いも変わってくる。受け継いだ今の活動は、自分たちにとってどういう意味があるのかについて、受け継いだ世代の今後の議論を期待したい。

 

よそから農村に人がはいる・・安西さんの話のつづき

 安西さんの経営は、ここ10年くらいの間に大きく変化したと言えそうである。一つは販売先の多様化による生産品目の増大である。面積も大きくなったのだろう。なにしろ、トウモロコシは現在2ヘクタールも作っているらしい。しかし、この変化よりも大きいのは、経営を支える労働力である。安西さんも10年前は、家族労働力中心だった。しかし、経営の多様化を目指そうとすれば、どうしても手が足りなくなる。現在は、安西さん以外は従業員4人を雇用して生産している。しかも、この4人は全員他からの移住者とのこと。このおかげで、経営について多様な展開を目指せるようになったという話しである。家族だと甘えもでてきて、自分がここまでやりたいという水準まで到達しないということがあるが、仕事は確実にはかどるということだ。
 4人いれば、その人の能力や仕事の段取りなどを考えて適切に仕事をわりふらなければならない。農家は工業とは違い、ここが経営者能力というやつを問われるところだと言う。

 ここで面白い話。2019年の台風で南房総の人の流れに関して画期的なことがあった。それは、ボランティアというものがはじめて動き出したことで、これを契機によそから農村に人がはいってきたことだ。農村において、他人に仕事を手伝ってもらった場合は、必ずお返しをしなければならないというしきたりは染みついたものだ。安西さんが、ボランティアの受入の切り盛りをしたとき、農家は「何をしてもらい、何を返したらいいかわからないからウチはいいや」という意見があって、受入農家の数は少なかったらしい。ボランティアの仕事についていうと、能力から言えば半分以下だろう。でも、わざわざ来てくれたことに価値がある。来てくれたことで、新しい風も吹くのである。災害だけでなく、農村ではよそから人がいつ来てくれても、受入ができるように仕事をできるだけマニュアル化しておくことが大切だと思ったようだ。


 よそから農村に人が入るといえば、安西さんは、大学生の受入にも熱心である。今年から東大はじめ、12の大学がきているとのこと。中でも、明治大学は、2019年から5年間毎年定期的に訪れ、安西さん自身も臨時講師をつとめる。大学生は卒業しても遊びに来てくれるらしい。恐らく大学の方も現場に即した教育をしたいと思っているのだろう。しかしなかなかそういう関係を持つことが難しい。気軽に遊びに来てくれることを歓迎してくれる安西さんとの関係は貴重なものだ。農村でも、彼らが新しい刺激を持ってきてくれることで、農村の活性化につながるかもしれない。
 では一方、現在の農村の状況はどうなのかということを聞いてみた。ここレタス産地の館山市神戸地区でも、後継者不足が顕著で、レタスを作らない耕地がふえているらしい。

みごとな冬レタス、作らない圃場もでてきた(神戸地区)

 安西さんが住む集落については農業度が高いが、ここには過疎農村とはちがった悩みがあるらしい。
 本来なら今後のために、誰でも農業に取り組めるように農地を集積し、必要な基盤整備をすすめるなどの条件作りが必要だが、親はよく働き、何でもできるのでなかなかすすまず、世代交代も進まないということらしい。次へつなぐことを真剣に考える時期だと思った。

コロナの影響で販売が大きく変化・・館山の安西淳さん

  農業ミニコミ誌「漣」は「農業者からの発信」ということで、今から10年ほど前から3年半くらい発行した。200名弱の読者の方に読んでもらったが、私にとって、内容はとても新鮮だった。
 この冊子はいくじないことに、2016年まで続けたけれど、翌年記事を単行本(「農業は生き方です」)化して、廃刊してしまった。
 最近10年くらいのスパンで今の農業はどう変わるのかということに興味が出てきて、以前協力いただいた農家の方の変化を、記事の内容に即して知りたいという欲求が強くなり、昨日、創刊の「ゼロ号」の巻頭言を書いていただいた館山市の安西淳さんを訪問した。
  「漣」の巻頭言を見ると安西さんは、「今こそ必要な農業者による食育活動」と題して人とかかわることが大切だと説いている。特に重視していたのは収穫体験で、家族を中心とした受入だけでなく、学校、特に近くにある東京都大田区の「さざなみ学校」と連携し、子どもによる収穫だけでなく、収穫した野菜をメニューに取り入れ、生徒たちとの交流の場を広げていた。その試みは、市内の小学校数校にも及んでいた。また、市民との窓口を広げるため「百笑園」という個人直売所も始めたという報告であった。
  では、その後どのような変化があったのか。
  収穫体験については、「百笑園」を窓口にして急にやってきても対応できるような形で定着していたが、2019年の台風のとき、「百笑園」のスタッフが退職し「百笑園」の営業を停止。昨年から「安西農園」が受入を始めている。予約制をとり、前日まで予約を受けるという形に。現在は、バス会社の体験ツァーも受け入れている。
小学校や「さざなみ学校」との連携は現在まで継続して続けられている。小学校は地元の子どもたちが「ふるさとを学ぶ」課外学習の一環として定着。
  安西さんの経営自体はどう変化したのか。従来の夏のソラマメ、トウモロコシ、冬のレタスという産地品目を中心とした経営から、ネット販売へと変化してきているらしい。分岐点は、コロナだった。2020年は最大の需要となり、現在では「食べチョク」「諸国良品」などサイトを通じた販売は5社を数え、出荷金額の半分はネット販売、生産品目も50種類を越える。安西さんは、「漣」巻頭言では、次のように次のように書いていたが・・・・。
  インターネット販売は爆発すれば売上の伸びは一番ですが、どんな方が買ってくれて、どんな評価をしてくれるかが見えにくい。これは縮小していくと今は思っています。
  コロナ感染拡大により、消費者の直接的な反応はきけなくなり、ネットへシフトしたらしい。

いろいろな野菜をつくる・・・・食用ナバナとトレビス

 安西農園の基幹品目に変化はないが、例えば夏の終わりから秋にかけてのラッカセイおおまさり、種苗会社から種の供給を受けているイタリア野菜、ケールは30〜40aつくって、ロイヤルホストへ供給しているという話しだ。
 今までは珍しすぎる品目のため消費者が好んで手を出さなかったものと自分が思い込んでいたものも生産するようになった。消費者のニーズが多様化してきたことをじかに感じているらしい。