漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

ある中山間農村の現実

 私の妻は若い頃、千葉県南部にある東京都の健康学園で児童の教育に携わっていたことがあった。先日久しぶりにそのとき同僚だった女性から妻に電話があった。驚いたことに、最近、夫君がなくなったという話である。

 このご夫婦は職場結婚で、夫だった方は、県南の中山間地域にある女性のお宅(兼業農家)に婿入りされたのである。年の離れた夫婦であったが、婿入りされた当時は、女性の両親も健在であり、家業であるコメ作りについてはご両親が携わっていた。そろそろ夫君が定年を迎えるころ、女性の父上が健康を害し、夫婦はまったく経験がない中で、父から教えられて、数年コメ作りに取り組んだらしい。父が亡くなった後も、引き続き取り組まれたのかどうかはわからないが、こうして二人でムラの中において末永く生きていく決意をされたようである。

 ムラでの生活はなかなか難しいものだったようだ。はじめのころはいわばよそ者である夫君が集落の会合に顔をだし、ムラの生活を快適にしていくための提案をすることもあったということであるが、集落で歓迎されることもなく、年を取る中で、水田作業が困難となり、近隣に水田を貸すようになったらしい。二人の間に子供は授からず、ご両親もなくなられたが、二人だけで静かに暮らす生活が長く続いていたわけだが、突然の悲劇である。

 このことがあり、妻の同僚であった女性は毎日広い屋敷の中で、独りぼっちで生活するようになった。夫がなくなっても、集落内の役割は同じようにめぐってくる。今まで夫が果たしてきた集落内の役割の経験やもちろん農作業経験もまったくないなかで、ここで今後もずっと生きていくことに不安を覚え、集落からでることも考えているようだが、自身が高齢者となる中で、知り合いが誰もいないところに一人で住むのは勇気がいるだろう。

 考えてみると、都会から離れ、イノシシやサル、シカなどの野獣が出没する中山間地域においては今後このような例がどんどん増えていくだろう。成長と共に子供たちが村を出て、高齢者だけが生きていくようになるのは必然のことだ。農村は昔から生活共同体として大きな役割を果たしてきているが、現状ではそれが形骸化し、習慣としてのみ残り、集落の構成員を苦しめるという事実もあるのではないか。そういった現実をこのことから見た気がする。

 千葉県では昭和50年代に「村ぐるみ農業」という特徴的な取り組みが行われた。これは「農業」と名付けられているが、実は農業だけでなく、「くらしの革新」をムラ共同の力で実現しようという取り組みで、「冠婚葬祭の簡素化」「生活環境の整備」などの問題を、集落全体で話し合いながら実現していこうというものだった。現在の中山間地域のムラの中にはこのような力は残っていないのだろうか。