漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

生乳廃棄の危機

 コロナ禍の中、飲食店などの外食需要の落ち込みや学校給食での使用が減少するなどの原因により、年末年始になんと5000トンもの牛乳が廃棄される恐れがあるという。1頭の乳牛から生産される牛乳の量が年間7000kgとすると800頭分、40頭飼養している酪農家20件の1年分の生産量である。酪農家にとって無念なことである。

 農産物は工業製品と異なり、需要が減ったからといってすぐに生産量を調整するというわけにはいかない。牛乳だけではなく米でも野菜でも同様である。必要な土地、施設、動物などに対して、必要な時間をかけてつくりだされる農産物は、単なる「商品」ではなく、私たちの命を守る大切なモノなのだ。
 私が若い頃、千葉県印旛村に農民主導で農産物直売所を立ち上げた藤代さんの口癖は「農業は生命維持産業だ」。このような産業を担っているという誇りが、農業者の生きがいでもある。

 簡単に生産調整ができないということは、我が国のコメ生産において、十分経験済みである。農産物は、単なる商品の需給調整と同様に扱うことはできない。とすれば、この余剰農産物をどうするかということも、当然、国全体、もっといえば世界規模で考えるべき問題であろう。国内では所得格差の拡大により貧困の中での生活を余儀なくされる人も多くなってきている。これらの方たちに対して、無料で自国生産の農産物を届けることは、農業が持つ生命維持産業という意義を活かす面で重要なことである。外国との関係でいえば、飢餓に苦しむ人たちに対しても多くの助けになるだろう。農業、あるいは経済という狭い範囲にとどまることなく、もっと広い範囲の中で、問題解決に取り組むべきだろうと考える。

 酪農家の数は減り続けているが、国民が求める需要量を確保するために、1件当たりの酪農家の飼養頭数は右肩上がりに増えてきている。しかしそれだけ、経営面での危険度も増加してきているのである。今回の危機に対して、メーカーや産直団体、コンビニなどが商品提供の面で、さまざまな工夫を始めており、このことは非常に歓迎すべきことである。消費者が、生産者である農家の苦境をともに感じ取ることが出来る社会の実現が望まれる。