漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

おかげさまで2回目の正月をむかえました

農業ミニコミ誌漣(さざなみ)を発刊してから1年が過ぎ、2回目のお正月がやってきました。

ゼロ号を作成したときは、とにかくどのようなスタイルでできあがるかということが心配でした。柏市の市民と農業者の皆さんとが、どのようにして放射能問題を乗り越えたかという取り組みに自分自身の関心が高かったせいか、とにかくこのテーマを特集記事として一番はじめに持ってくるということだけを決めていましたが、他の記事は、若い農業者の皆さんに無理をいって執筆願いとにかくスタイルができあがったのです。ゼロ号は1000部近く刷ってもらい、とにかく9月15日送付を目標に、ひたすら印刷された紙を折り続け、数え、抜けたページを補い、穴をあけという作業を4日くらいかけて行いました。還暦を過ぎた身には、無理な姿勢になることも多くとてもつらかったです。

それから、1号、2号、3号と続けてきて、その間にたくさんの皆さんに応援をいただきました。今までの全部をとおして実感していることがあります。執筆をお願いしたみなさまそれぞれの思いが詰まったものになっていてるということです。これは、お願いした方々ご自身の手で書かれたものだからということにつきます。写真はカラー写真が使えず、特に表紙写真をお願いしている編集責任者である梅原の学友、一ノ宮氏には申し訳なくおもっています。ただ、すべてモノクロというのも一つのイメージになればうれしいです。

今年は、1月15日のNo-4からスタートします。この号では、西船橋コマツナ農家である平野代一さんに、特集、巻頭言、座談会のあらゆる部分でお世話になりました。農業者の方がこのような形で作成に参加していただける、その一つの形をイメージすることができました。とてもありがたいことです。

編集委員としては私、梅原のほかに、現役時代の先輩だった齊藤陽子さん、石渡一徳さん、長江英子さんの3名にお世話になっています。毎回編集会議を開くのですが、その折、これだけの素晴らしい内容をろくにPRもせずに放っておいてはいけないのではないかという声があがり、今までどちらかというと敬遠してきたSNSに挑戦することにしました。具体的にはフェイスブックページを立ち上げました。読者の皆様、また読者以外の皆様からも応援いただければありがたいです。一年を過ぎたので、ふりかえりつつ記載しました。