漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

農業者自身のじかの声がほしい

漣(さざなみ)2年目を迎えました。前のブログでもお話したように、単なるつぶやきでない農業者からのじかの発信の意味はますます強くなってきていると思っています。文章を書く時間が取れない、なにより書く能力がない、話すことならいくらでもというお話をされる方が多いけど、農業発信は、例えば「おいしい野菜」とか「美しい花」とか「コクのある牛乳」とかそういうものを消費者に届けるというのはもちろん大切なことだけど、それに「生産者の思い」というメッセージをつけることはとても大切だと思います。

そうでないと、もしかしたら「モノ」さえあれば「大地」は不要になるかもしれないからです。農業の一番の役割は、「生きていく環境の提供」にあるので、「モノ」だけに集約されることではなく、つくっている環境、まわりの人々、汗ばむ空気、そういうものはその提供する農業者の方しかわからないからです。

書いていただく方を見つける作業はつらいけど、漣(さざなみ)はそのためにまだしばらく生き残って、努力していかなければならないですね。f:id:chibasazanami:20150204135717j:plain