漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

経営診断を現場に

    現役のときは、農家の経営診断をサポートしたい、そう考えてずっと活動してきました。しかし、日常的な診断サポートの機会はほとんどありませんでした。経営改善を目指し農家に必要が生じた場合、つまり、補助事業を導入したり、資金を借りようとしたときに初めて農家の決算書を目にした場合がほとんどです。

 経営診断は日常的に経営活動に位置付けられる必要があります。そして、経営診断を行うためには、経営の実績データをつかむことが必要です。この考え方にとらわれ過ぎていました。こんなことがありました。農業経営は家族経営ですから、経営目標は家計費と大きな関係があります。診断を進めるために、農家に「家計費」を教えてもらいたいと依頼したところ、「なんでアカの他人に、一番秘密にしたいことを教えなければならないんだ」と怒鳴られました。

 経営診断は特定の専門家が行う作業ではありません。経営者だけでなく、目標や、具体的な経営対応について、経営の構成員、つまり家族の考え方をある程度一致させることが必要です。また、診断は数字がなければできないというわけでもない。ただ、考え方の筋道をしっかりさせることが大切です。そこでQC手法の一つ「連関図法」を取り上げ、普及指導員の研修で、農業現場に赴き、実践してみました。

連関図法」とは、「原因」と「結果」、「目的」と「手段」などが絡み合った問題について、その関係を論理的につないでいくことによって、問題を解明する方法である。これをグループ、農業経営でいえば、家族構成員や法人構成員の共同作業で実施する。この実践により、問題の因果関係を明確にすることができ、グループメンバーと連関図を作成してゆく過程で、メンバーのコンセンサスを得ることができる。メンバーの知恵を結集することで、発想の転換を可能にし、問題の核心を探り、解決に導く事ができる。(メモリー 普及活動レポートより)

 この方法は考え方をメンバーで整理するだけでなく、この経営について診断するためにはどのようなデータが必要かをメンバーそれぞれに認識させることができます。ここでいえば、時期別の出荷状況や雇用者の勤務状況をデータ化することは必須だといえます。

 私はこういう方法が、現場で定着すればいいなと思っています。しかし実は自分自身、実際の普及活動の中で活用したことはないのです。それは、忙しい農家にこんなことをする余裕はないと思い込んでいたからかもしれません。しかし、このように意見を出し合い、まとめるためのサポートは絶対に必要で、後輩諸君にぜひチャレンジしてもらいたいと思います。

まず生産を支えることに重点を!

    さて、前に経営を診断するには、規模と効率(生産性)に分解してみていくことが基本であるといいましたが、効率(生産性)はさらに技術と経済という2つの要素に分解してみていくことで、現在の状態になっている原因が、生産技術にあるのか、それをとりまく経済にあるのかを明確にできます。例えば一定の面積(例えば10a)から得られるコメの売り上げは、10a当りの収量(技術)×1俵当たりの米価(経済)というように分解できます。コストについても、例えば農薬代は、散布する量(技術)と単価(経済)に分解して考えることで、経営の改善ポイントが明確になります。

    生産性はさらに技術と経済に分解することで要因が明確化され、改善への具体的な対応へと結びつく。例えば、10a当りの生産額は、「生産量」×「単価」に分解する。「生産量」はおもに「技術」レベルに起因するものであり、「単価」は主に経済条件に起因するものである。この段階まで区分することで、はじめて経営での実際的対応手段を検討することができる。以上の手順で経営を分解してみると、その経営特有の課題と道筋が浮かび上がる。完璧なデータ収集が正確な診断の条件ではない。まず全体を見ることからスタートし、手順を追って考えることが重要である。(メモリー普及活動レポートより)

 米の価格が政策により決まっている時代では、農家は収量(技術)をいかに高めるかということに重点をおいてきました。現在では米価は変動しており、他の農産物も含め、技術と経済の両方に目配りする必要があります。また現在大きな問題になっている酪農の場合は、1頭の乳牛から産出される牛乳の量(技術)をできるだけ高め、1kgの牛乳の乳価からそれを生産するエサ代などのコストを差し引いた利益=差益(経済)を高くすること(1頭当たりの乳量 × 牛乳1kg当たりの差益)で、全体の所得が高まります。今までは、国内でエサを生産することは不経済で、外国からの安いエサを利用して、効率よく乳を搾ることに技術の重点が置かれていました。ともに「収量を高める」ことが、農家の所得を高めることと一致していました。農業全般に関して、経済の変化について考えると、それはある程度経営者の予測できる範囲内のことであり、自らの経営成果はある程度納得できるものだったともいえます。

 今になって国は、自給飼料の生産について言及し始めていますが、ことは急を要するのではないでしょうか。国民に対して安心・安全な食料を供給することが国の重要な使命であるとすれば、この状況を改善するために、国の補助金を投入してまず生産を支えなければなりません。他の農業生産についても同様のことが起こっています。我が国における農業という産業をどう位置付けるかという問題なのです。すべて自己責任の問題にすれば、国民への食糧の安定供給は不可能です。

 もちろん、私たち消費者自身が国産の食品をどう買い支えるかということも問われています。

農村での資源の活用

 農業経営は、土地(農地)、労働力、資本の3つの資源を上手に使って成り立ちます。経営者は、自分にとって一番調達しやすいものはどの資源なのかを考えなければなりません。農業経営はみんな田舎でやっているわけではありません。都市に隣接した地域では、建物に囲まれた畑で新鮮な野菜が作られ、収穫後すぐに消費者のテーブルに並ぶのですから、消費者にとって都市近郊農業はなくてはならない貴重なものです。こういう地域では土地は貴重なものですが、住んでいる人が多いので、労働力は調達しやすい資源といえます。

 しかし、一般的には農業は田舎でやるというイメージが強いものです。都市から離れた農村では、若い青年たちが村を離れ、担い手がいないということをよく耳にします。こういうところでは、労働力に比べて土地のほうが調達しやすいものといえます。土地、労働力に比べて資本については、立地条件というよりも、調達のしやすさは、経営者の能力に左右されます。能力さえあれば、借り入れや投資はそれについてきます。

 ところで、農業経営の結果とは、「規模」と「生産性」をかけあわせたものとよくいわれます。例えば、都市近郊では得られた所得を「農地規模(面積)」と「一定面積当たりの生産性(土地生産性)」に分解します。いっぽう農村では得られた所得を「労働力規模(人数)」と「労働力1人当たりの生産性(労働生産性)」に分解します。そののち、経営の結果について自分で診断します。実際には農業にはさまざまな形があって、こう単純ではありませんが基本はこういうことです。

 経営診断とは、適切な指標を選択し、実績と比較することで問題点を見つけることである。比較することによってはじめて自分の経営の強みと弱みがわかり、経営改善の手がかりをつかめる。マネジメントサイクルに的確に位置付けるためには、自己 (自己経営の計画データ)との比較が、実用的である。また外部データとの比較も、客観的な経営の強さ、弱さを判断するためには効果が大きい。(メモリー 普及活動レポートより)

 大局的に見ると、農村の人口はどんどん減っているので、政府は労働生産性を高めるため、公的な農地の中間管理機構を作って、農地の集約化を図るとともに、「スマート農業」ということばを案出し、無人で動くトラクターの開発、ドローンを利用した農薬・肥料散布、圃場の写真をとり精密な管理を行えるような技術開発などに力を入れています。(都市の近くで狭い農地を活用して自己努力で消費者に農産物を届けている農業への力の入れ方と比べるとどうなのかな?)

 私は、政府に頼っていては、今後の農業の展望は開けないと思っています。農業者個人にとって一番大切なことは、都市近郊でも農村でも人間としての信用力をつけることだと思います。農村では農地の集約化を進めるために、都市近郊では信用ある労働力を集めるためにです。それと同時に、経営者どうしの横の連携、必要に応じた組織化などが欠かせません。農業は面的な広がりの中で成り立つ職業だから、手をつなぎ合うことが絶対の条件ではないかと思っています。

よんえっち

 4Hクラブって知っていますか?このネット全盛時代になるとなんとなく「過去の遺物」みたいな印象もあるかもしれませんが、農村でのネットワークづくりにこれほど貢献した組織はありませんよ。

 ウィキペディアには、「4Hとは、Head(頭)、Heart(心)、Hands(手)、Health(健康)の4つの頭文字で、四つ葉のクローバーをシンボルとする。」とありますが、詳しいことは何も記載されていません。アメリカで始まったクラブ活動ですが、私は、日本で独自に発展したものと思っています。

 ここでの活動の基本は「仲間づくり」。プロジェクト学習を基本に据えていますが、これさえ仲間づくりの手段ともいえます。全国組織がつくられ、プロジェクトの発表会や技術交換、実物鑑定などのさまざまな試みがされ、発展してきています。たぶん現在も続けられているでしょう。

昔作られた千葉県の農業雑誌「農業千葉」廃刊号に、夷隅のIさんの記事があります。

思い出の実績発表
この大会は地区予選、県大会、全国大会へとすすむ4Hクラブとしては大きな大会の一つです。私は畜産の部で出場することになり、自分で作業日誌、現金出納簿を整理し、クラブ員に見てもらいました。毎晩のようにクラブ員のほとんどの人が集まり、図表の書き方、発表の仕方などこと細かく指導してもらい、大会までにはすっかり頭に入りました。
 おかげで、東京虎の門ホールで開かれた全国大会に出場し、その一こまがNHKの昼のニュースで放送され、時の人となった楽しい思い出があります。(千葉県農業と歩んで半世紀より)

 4Hクラブは青年組織ですが、部門、年齢、経験を問わず参加することができます。共通点は「自身で農業にとりくんでいる」ということだけです。これが一番大切なこと。農業はだんだん専門分化してきた。こういうとき、まったく違う方面からの質問を受けるととても参考になる。プロジェクト学習にも幅ができます。

 農業は一定の地域範囲の中で、地域全体が発展していくということが理想です。ある特定の品目の産地が形成されていたって、そこにちがった部門の生産があることで、この地域全体はどうしたら発展していけるかを考えていけます。だから青年時代、さまざまな部門の人たちと知り合う機会が持てるということはえらく重要なのだと思うのです。また、多くの4Hクラブでは、市民を巻き込む活動を取り入れています。こういう活動も大切ですね。常に社会全体における自分の位置づけが明確になります。

 なんか、自分のブログは、「論文発表」みたいになってしまいます。少しは、ショートになるようつとめてみましたが・・・・。

地域と調和する農業

    私が若い頃に、就農したての青年たちの尻をたたいて学習した内容を前回紹介しましたが、その後私は、「地域に自分の経営をおいてみる」ということについて、何人かの方々の挑戦を見てきました。次に紹介します。

    まず、以前にも紹介した館山市のSさんの挑戦です。彼は、関東北部で大手ホームセンターの店長をつとめていましたが、考えがあり、両親の住む館山市に帰ってきました。生活の糧をどこに求めるか、地域の農家の手伝いをしながら、今後の人生を考えていました。農家の生まれではなく、特に、農業への思いというものが強かったというわけではありませんでした。農家のビワの作業を手伝いながら、彼はこう言っています。

 最初は、新たな職業としては考えていなかった農業ですが、ビワの作業を始めると自然の中でうぐいすの鳴き声を聞き太陽を浴びながら風を感じて行う摘果や、ビワの袋を果実に一個一個掛ける作業がとても心地よく感じました。
    こんなに気持ちのよい仕事があったんだとその時思いました。(農業は生き方ですより)

 農業に新規参入するとき、理屈から入る人が多い感じがします。例えば「有機農業への挑戦」、「地域活性化への貢献」・・・・などなど。彼の場合は、「(自分の職業として)農業もいいかも」と考え、ここでやる農業として何をやるべきかと考えたわけです。そして・・、

 調べていくと、苗から育てて収穫までの期間が短く、地元館山の農閑期にあたる時期に収穫ができる「イチジク」を知りました。
 南房総は、1月から5月はイチゴがあり、4月から6月はビワが有名ですが、それらが終わると産地化されたフルーツがあまりなく、イチジクは8月から11月まで収穫ができ、11月頃から始まるミカンまでを繋ぐことができます。(農業は生き方ですより)

 彼は、地域にあてはまる農業の形について最初から意識しています。その後、3年間かかり中心となる畑を見つけ、イチジク狩り農園を開始しました。チラシを印刷して地域60か所のホテルや観光案内所に配布し、地域のイチジク生産者に呼びかけてイチジク組合も組織化。自身でスイーツショップをつくり、地域の農業者や新規参入者とコラボして新しい製品づくりに励んでいます。

 新規参入者の場合、持つものは何もないという状況なので、アイデアに制約はありませんが、実際にこれを実現していくことは困難な部分がとても多いでしょう。

 次に、古くからの農村での試みとして、木更津市のブルーベリーについて紹介したいと思います。

 木更津市の富来田地区は古くからのナシの産地でしたが、高齢化により産地の維持が難しくなっていました。30数年前、当時の農協組合長が、ビニールハウスを利用したブルーベリー栽培を提案し、高齢者中心に地域に広く普及しました。そのとき、農協の営農指導員として活躍されていたEさんですが、50歳で農協を退職されて、自らのブルーベリー農園を立ち上げました。そのころは、以前普及したブルーベリー栽培は勢いがなくなっていましたが、ここで彼は今までの地域の歴史を踏まえながら、「観光ブリーベリー」を定着させて、東京からの観光客を呼び込もうと考えました。地域の農業者、他産業従事者、NPO法人などに広く呼びかけたところ、これに応じる方がでてきて、地域としてブルーベリーの観光栽培に挑戦することになったのです。

 私たちの会の名称は、「木更津市観光ブルーベリー園協議会」と実に長い。これは会の目的をはっきりさせるためである。木更津市を日本一のブルーベリー産地にしよう。自然豊かなブルーベリー園で日本一美味しいブルーベリーの摘み取り体験をしていただこう。そんな会員の思いが集まって、2007(平成19)年10月に発足した。(農業は生き方ですより)

 Eさんは、自身の経営を今までの財産であった地域のブルーベリー栽培を足場にし、さらに彼が自身で探究開発してきた「どこんじょう栽培」をもとに栽培を普及し、「木更津市に似合った地域の絵」を実現したのです。

 冬の朝、ブルーベリーの苗畑は一面真っ白になる。ポットに植えられた苗木はカチンカチンに凍っている。日中は溶けるが夜にはまた凍る。この繰り返し。かわいそうだと思うが、ブルーベリーは枯れない。夏の日中はもっと過酷で、真夏日が続いていても一日1時間程度のかん水しかしないため、苗畑はカラカラに乾いているはずなのに、苗木はしおれても枯れることはない。ブルーベリーは本来、放っておいても枯れない強い植物なのである(江澤貞雄著 ブルーベリーをつかいこなすより)

 さて、以前農業後継者が激減したころ、「農業者はもっと減ったほうがいい」という議論があり、減った分を大規模化、機械化により解決すべきだという方向に、我が国の農業は舵を切ってきました。しかしそれでも、農家において農業を継ぐ人は一時に比べて減ってきているという印象はありません。これは、就農する後継者が今後地域の中ではどんな農業が必要なのか、どうすれば伸びていくかを考え、「親から就農するように言われる」のではなく、自ら選択してきた結果だと思います。

 そうはいっても、特に水田を中心とする地域では担い手の高齢化による減少は避けることができません。袖ケ浦市のKさんは、農業を継いでいくにあたって、産業用無人ヘリコプターによる地域の水稲防除作業を受託することからスタートしました。この受託作業は、その後水田作業全般に広がり、本格的に参入することになります。周辺地域では営農組合を中心とした水田作業が進められていましたが、Kさんの参入は、非常に重要な担い手の確保につながりました。
 続いてKさんは加工用レタスの契約栽培を農協に働きかけて開始しました。レタスそのものは、袖ケ浦市で産地化されていた重要野菜でしたが、彼の提案はこれに命を与えました。今では、袖ケ浦市のレタスは従来の高品質生産から省力化による大規模経営へと変化してきています。

 Kさんの場合は、必ずしも就農当初からビジョンが明確だったわけではありませんが、一つ一つステップを踏み、地域に足場をつくりながらビジョンを明らかにし、現在では地域でなくてはならない経営として存在感が大きくなっています。

 農業を一経営だけで伸ばしていこうとしても、決してうまくいかないと私は思います。自分の経営を「地域」という大きな財産と上手に調和させる中に、伸びていく秘訣があるのではないでしょうか。

地域に自分の経営をおいてみる

 家業として農業を継ぐ人も、新規に参入して農業に挑戦する人も、絶対に忘れてはならないことがあります。それは、本来農業は「個人」というレベルでどこまでも成長していくというものではなくて、その立地する場所と深い関係を持ちながら、発展していくものなのです。だから、自分が営農する地域を深く知ることが大切です。そのための一つの方策として、仲間や集団でのプロジェクト学習を進めることは意義深いものがあります。

 私自身がまだ青年だったころ、就農したばかりの青年たちを集めて、一定のカリキュラムのもとに研修を行いました。就農したばかりの段階では、やっと自分の家の農業についていくのがせいいっぱいです。隣の家がどんな農業をしているのかもわからず、同じ市内での農業の特徴についても深く知りません。私はそういうときこそ、集団で学び合うことが必要なのではないかと感じ、「地域の農業を知るプロジェクト学習」を毎年行いました。就農したての何年かがもっとも大切だからです。このころは親も若いため彼らに依存する割合も小さく、時間的ゆとりがある時期です。青年の考え方も柔軟で、客観的にまた多面的に、農業経営について考えることができます。また、仲間からの刺激により大きく変わる時期でもあるからです。

 自分がこれから取り組む農業の形は、自分が生きていく地域の中でどのような意味を持つのか。地域という大きな範囲の中に自分の農業を位置づけ、適切に判断していくことを、仲間たちとの共同したプロジェクト学習で学んでいくという経験は、とても重要です。年齢が進んでいくにつれ、なかなかそういう機会が持てなくなります。そういう考えからこのような学習活動をこの時期に組んだのです。

 40年ほど前の研修で取り組んだ「共同プロジェクト学習」をそういう観点からもういちど見てみたいと思います。この学習では、地域の農業を知るために、内容により7つのグループに分けて調査項目を作り、同じ調査を親と子、それぞれに対して行い、いくつかの班では、再度面接調査をして内容を深めました。

先輩はみんな進んで農業をやったのだろうか。

 学習した就農青年はほとんどが親の勧めで就農した。なかなか自分で農業を選択した人はいない。調査活動を進めていく中で、親の考え方と子の考えが一致し、農業に取り組んでいる先輩に聞いてみた。

 やはり農業は、やりたくなかった。友達が休みの日に車に乗って遊びに行くのを見てうらやましいと思った。俺は、トラクターに乗って畑の耕耘で、その横を友達の車が通るとつらく、恥ずかしかったそうです。高校を卒業して茂原専攻科にすすみました。そこでの友達はみんな農業をやる気になっている人ばかりで、農業をやる気になったのは、この頃からだそうです。専攻科の先生・友達といっしょになって勉強でき、ほんとうによかった。だんだん農業に興味を覚え、自分で勉強する気にもなってきた。学校へ行きながら、もうひとつの楽しみがあった。それは市場の野菜の売上金を取りに行くことでした。その頃は、まだ1万円札を何枚も持ったことがなく、今日は、かなり入っているなとか、封を開けるのがすごく楽しみだった。この頃から欲がでてきた。卒業後は農業一筋でがんばった。
 農業が楽しくてたまらない。どうすれば収入が上がるかを考え、親とよく話し合っているみたいでした。そこのところからアンケートの答えが一致した理由が分かってきたのです。(メモリー 普及活動レポートより)

我が家は市場へ個人出荷しているけど、共同で出荷するメリットは?

 産地が各地につくられる中で、共同の出荷場をつくって、出荷に関する経費を低減する試みが増えてきたころである。しかし都市近郊では、市場が近いせいもあり、小回りの利く個人出荷の割合が高く、就農青年のほとんども個人出荷だった。

 I市の共同道果場では、梨の完全共販をしています。
 近年新品種の更新が叫ばれる中でまだ新品種の切り替えが完全になされてきていないため運営をしていくうえでいろいろな問題点がでてきているということです。
 それには個々の耕地面積にバラツキがあるため時間配分や労働力の問題があり、また技術統一もむずかしく、剪定、土壌管理などによる品質のバラツキもでてきており、個々の味に対する観念もうすれてきていて、よいものでも、悪いものでも出荷してしまえばいいという風なところがでてきているようです。また、共販をしていくということは、人間関係も重視され細かい部分まで注意しないと運営にひびが入ってしまうおそれがある。そのため、ある程度の妥協が必要だともいっていました。
 しかしその反面なごやかさがあり、お互いに梨の品評をすることができ市場においても品質(外観上)の統一ができるということです。(メモリー 普及活動レポートより)

これからどんどん都市化が進むと農業はできなくなってしまうのではないか

 調査地域は東京に隣接した地域で、青年たちの感覚も敏感なものであった。調査では、薬剤散布がやりにくい、犬、子供による畑の被害、日当たりが悪くなるなどのほか、野鳥による被害、盗難の続発、畜産の排泄物処理などが挙げられている。今後の考え方について、先輩農業者に聞いてみた。

「この辺りは調整区域なのであまり都市化は進んでいないが、都市化が進んでも、その中で生きてゆける農業が理想的だ。新住民は新住民、農家の人は農家の人と分かれているのではなく、お互い理解し合って、その上に農業が成り立ってゆけたら。」ちょっと難しくてよくわからなかったが、新しい考え方で、とっても新鮮だった。(メモリー 普及活動レポートより)

 地域の中に自分をおいてみることで、今後の方向が見えてくることが多くあります。なぜなら、農業は地域に根付いた形でなければ発展できないからです。若い時代だけでなく、経営者としての経験を重ねていく中においても、このような姿勢で生きていくことで、次の展開をはかることができると考えます。

 

 

 

次の農業の担い手

 すべての職業の選択は自由であり、農業もしかりです。しかし、「農家を継ぐ人」と「新規参入する人」とは大きな違いがあります。以前、農業者自身が執筆した文章を「農業は生き方です」という本にまとめました。それを材料に、次の世代の農業について考えてみます。

「農業を継ぐ人」の場合、農地があるし、地域での人脈もある。親と同じ部門を継ぐ人は、親の持つ技術もあります。つまり、農業を行うかなりの資源はすでに存在していて、彼らはそれを「どう使って」より良い形にすればいいかについて考えを集中すればいいことになります。もし意識的に農業を継ごうという人は、これらの条件の中から自らの課題を発見し、学習していけばいいわけです。

 しかし、現在花を生産している50代の生産者Yさんは次のように言っています。

 新規参入者に比べれば、農家の後継者のほうがモノがそろっているし、本人の家で同じ作物を作っているなら基礎も確立している。それならいつでも後継者として経営ができるはずです。
 だが世代交代はスムーズにはいかないし親子といえども個人同士。遺伝子は受け継ぐが個性や考え方は当然違う。違いを修正しようと平均値を求めると、中途半端な経営になりかねない。ここで力を使い果たす者もいるし、50歳を過ぎても給料を貰い生活している方もいるのです。
 極論は自由ですが、「モノが揃っている」といっても、それを超える「個性」と「考え方」が必要なのだと思います。(農業は生き方ですより)

 一方、新規参入者の状況はいうまでもありません。白井市に新規参入したTさんは次のように言っています。

 もともとの農家は、農地はもちろん、親から受けた実践的な教育や経験、地元での人間関係があります。機械類や作業場などの施設も、それなりの販路もあります。いわば「あるある農家」です。ところが、非農家出身の新規就農者は、それらがまったくありません。まさに「ないない農家」です。大金持ちが貧しい人の境遇や気持をなかなか理解できないように、いくら農家として立派に営農していても、もともとの農家は非農家出身の新規就農者の置かれた境遇や気持をなかなか理解できないと思います。農業以外の世界で働いたことのない農家は特に難しいはずです。(農業は生き方ですより)

 しかし、新規参入は大変だということばかりではありません。私の仲間の長男のS君が新規参入し、館山市に「パイオニアファーム」という観光農場を始めました。

 こんなに気持ちのよい仕事があったんだとその時思いました。
 農業もいいかもとそのとき考えました。
 そのまま次の年にビワの木を20本ばかり借りることができ、少しですがビワの栽培を開始しました。でも、20本では生計が成り立つわけもなく、アルバイトをしながら自分の畑を新たに探し始めました。

 さまざまな農産物を見て気づいたことは、農業経営をするにあたっては、地域の気候、需要の可能性(特に女性)、栽培しやすいか、安定供給しやすいか、年をとってもできるのか、効率が良いか、生計が立てられるのかなどについて考える必要があるということです。
 調べていくと、苗から育てて収穫までの期間が短く、地元館山の農閑期にあたる時期に収穫ができる「イチジク」を知りました。
 南房総は、1月から5月はイチゴがあり、4月から6月はビワが有名ですが、それらが終わると産地化されたフルーツがあまりなく、イチジクは8月から11月まで収穫ができ、11月頃から始まるミカンまでを繋ぐことができます。そうすると南房総のフルーツの年間スケジュールが埋まります。気候にも合っているので、とてもおもしろいと思いました。うまく産地化できれば、地域にとってもいいのではと思いました。こんな考えから「イチジク」という果物に決めました。(農業は生き方ですより)

 

 「農業を継ぐ人」の場合は、前のブログで紹介したT君のように、自分の農場の状況を徹底的に調べて、何を活かし、何を改善することがいいかを考えることが重要です。解決は現在の経営の延長線上に必ずしもあるとはいえませんが、つまり、「モノが揃っている」ことを超える「個性」と「考え方」を発揮しながら学習をすすめることが大切です。
 一方「新規参入者」の場合は、当初、資源はありませんが、「思いつき」を自由に絵にかくことができます。これはタダです。そのアイデアは、農家の後継者が考えるアイデアより、多くの可能性を含んでいるかもしれません。そして、だんだんに具体化していけば、経営の発展の道はつかめるはずです。

 どちらの場合も、プロジェクト学習的な着実な取り組みは、非常に重要だと思います。そしてプロジェクト学習は、現代では単なる青年の成長を促す学習方法というばかりではなく、次の世代に確実に農業を引き継ぐ手段の一つだと思うのです。