漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

次の農業の担い手

 すべての職業の選択は自由であり、農業もしかりです。しかし、「農家を継ぐ人」と「新規参入する人」とは大きな違いがあります。以前、農業者自身が執筆した文章を「農業は生き方です」という本にまとめました。それを材料に、次の世代の農業について考えてみます。

「農業を継ぐ人」の場合、農地があるし、地域での人脈もある。親と同じ部門を継ぐ人は、親の持つ技術もあります。つまり、農業を行うかなりの資源はすでに存在していて、彼らはそれを「どう使って」より良い形にすればいいかについて考えを集中すればいいことになります。もし意識的に農業を継ごうという人は、これらの条件の中から自らの課題を発見し、学習していけばいいわけです。

 しかし、現在花を生産している50代の生産者Yさんは次のように言っています。

 新規参入者に比べれば、農家の後継者のほうがモノがそろっているし、本人の家で同じ作物を作っているなら基礎も確立している。それならいつでも後継者として経営ができるはずです。
 だが世代交代はスムーズにはいかないし親子といえども個人同士。遺伝子は受け継ぐが個性や考え方は当然違う。違いを修正しようと平均値を求めると、中途半端な経営になりかねない。ここで力を使い果たす者もいるし、50歳を過ぎても給料を貰い生活している方もいるのです。
 極論は自由ですが、「モノが揃っている」といっても、それを超える「個性」と「考え方」が必要なのだと思います。(農業は生き方ですより)

 一方、新規参入者の状況はいうまでもありません。白井市に新規参入したTさんは次のように言っています。

 もともとの農家は、農地はもちろん、親から受けた実践的な教育や経験、地元での人間関係があります。機械類や作業場などの施設も、それなりの販路もあります。いわば「あるある農家」です。ところが、非農家出身の新規就農者は、それらがまったくありません。まさに「ないない農家」です。大金持ちが貧しい人の境遇や気持をなかなか理解できないように、いくら農家として立派に営農していても、もともとの農家は非農家出身の新規就農者の置かれた境遇や気持をなかなか理解できないと思います。農業以外の世界で働いたことのない農家は特に難しいはずです。(農業は生き方ですより)

 しかし、新規参入は大変だということばかりではありません。私の仲間の長男のS君が新規参入し、館山市に「パイオニアファーム」という観光農場を始めました。

 こんなに気持ちのよい仕事があったんだとその時思いました。
 農業もいいかもとそのとき考えました。
 そのまま次の年にビワの木を20本ばかり借りることができ、少しですがビワの栽培を開始しました。でも、20本では生計が成り立つわけもなく、アルバイトをしながら自分の畑を新たに探し始めました。

 さまざまな農産物を見て気づいたことは、農業経営をするにあたっては、地域の気候、需要の可能性(特に女性)、栽培しやすいか、安定供給しやすいか、年をとってもできるのか、効率が良いか、生計が立てられるのかなどについて考える必要があるということです。
 調べていくと、苗から育てて収穫までの期間が短く、地元館山の農閑期にあたる時期に収穫ができる「イチジク」を知りました。
 南房総は、1月から5月はイチゴがあり、4月から6月はビワが有名ですが、それらが終わると産地化されたフルーツがあまりなく、イチジクは8月から11月まで収穫ができ、11月頃から始まるミカンまでを繋ぐことができます。そうすると南房総のフルーツの年間スケジュールが埋まります。気候にも合っているので、とてもおもしろいと思いました。うまく産地化できれば、地域にとってもいいのではと思いました。こんな考えから「イチジク」という果物に決めました。(農業は生き方ですより)

 

 「農業を継ぐ人」の場合は、前のブログで紹介したT君のように、自分の農場の状況を徹底的に調べて、何を活かし、何を改善することがいいかを考えることが重要です。解決は現在の経営の延長線上に必ずしもあるとはいえませんが、つまり、「モノが揃っている」ことを超える「個性」と「考え方」を発揮しながら学習をすすめることが大切です。
 一方「新規参入者」の場合は、当初、資源はありませんが、「思いつき」を自由に絵にかくことができます。これはタダです。そのアイデアは、農家の後継者が考えるアイデアより、多くの可能性を含んでいるかもしれません。そして、だんだんに具体化していけば、経営の発展の道はつかめるはずです。

 どちらの場合も、プロジェクト学習的な着実な取り組みは、非常に重要だと思います。そしてプロジェクト学習は、現代では単なる青年の成長を促す学習方法というばかりではなく、次の世代に確実に農業を引き継ぐ手段の一つだと思うのです。