漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

ジャガイモがもたらしたもの

 チャールズ・C・マンという人が書いた歴史書「1493」では、コロンブスアメリカ大陸に到着して以降、長年隔絶されていた生態系と生態系が突然出会い混じり合い、これが現代のグローバル社会の起源となっているという説を紹介している。その中で、ジャガイモに関する興味深い記事を載せている。

 ジャガイモを食べていた証拠が1万3000年前にチリ南部から出土され、南米のアンデス古代文明が生まれるずっと以前からこの地域で食べられていたことがわかっている。しかしこれは今も南米沿岸に自生している野生種であり、アンデスの人々は自分の畑が位置する高度に合わせて異なった種類のジャガイモを栽培していたようで、このジャガイモはたった一つの品種というより、近縁品種の集合体と考えられる。

 このジャガイモの中のたった数個を、物好きなスペイン人がヨーロッパに送ってきて、フランス革命当時、ある政治家がこの限られたイモを大規模に栽培するように勧め、このことがヨーロッパの歴史の転換点になったそうだ。ジャガイモは塊茎の切片から育てるため、収穫されたジャガイモは一種類の作物だけを栽培する方式でつくられ、アンデスのものとは似ても似つかぬものとなった。

 このジャガイモは、ヨーロッパの飢えた貧困層にとって救済そのものだった。同じ面積なら、ジャガイモはコムギの4倍の収穫量があり、重要食品として定着した。アイルランドでは、主食がコムギからジャガイモに変わった。ジャガイモの渡来により、ヨーロッパはようやく食糧自給が可能になり、人口も2倍になった。中でももっとも人口を増やしたのはアイルランドだった。

 一方ペルー沖の小島に大量に堆積した海鳥の糞(グアノ)に、17%の窒素が含まれることが分かり、多数の奴隷を使って採掘され、それを袋に入れてドサッとまけばいいという形の農法が普及した。品種改良された作物を、施肥効果の高い肥料を使って栽培する工業的なモノカルチャーが食糧の大量生産を可能にし、世界各地で増加する人口を支え続けた。

 一方近代農業を誕生させたグアノ貿易は、最悪のリスクを現実化させてしまった。この運搬船で運ばれたと考えられるある微生物がジャガイモに寄生してジャガイモの疫病という伝染病をひきおこした。疫病は初発地のベルギーからフランス、オランダ、ドイツ、デンマークイングランドへと広がり、アイルランドではたった一撃で国土の半分から収穫を奪い、この世の終わりかと見まがう光景があふれるようになった。大飢饉はアイルランドという国を崩壊させ、死者は100万人以上にのぼった。

 なぜヨーロッパはそれほど疫病に脆弱だったのだろうか。一つには栽培されていたジャガイモが一種類だけだったことがあげられる。アイルランドで作られていたジャガイモの約半分はすべて、栽培品種のクローンだった。こうしたモノカルチャーは生産性は高いものの、病気にはきわめてもろい。

 アイルランド大飢饉からさほど年月のたたないうちに、米国のジャガイモが新種の害虫に襲われた。1861年カンザス州から発生した甲虫がアイオワネブラスカ州へと進出し、ジャガイモの葉を食べつくした。ヨーロッパでは多数の国が米国産のジャガイモを禁輸したが、イギリスだけはそうせず、ついにヨーロッパへ侵入した(コロラドハムシ)。コロラドハムシは今でもメキシコに生育しており、これは本来ジャガイモよりトマトダマシという雑草を好む。しかし、たった一匹の突然変異により、今までまばらにはえていた雑草で満足していた虫が、たった一つの栽培品種が整然と何百列も並ぶジャガイモ農場において、食い放題の狼藉を働くようになった。

 これに対処するために、パリスグリーンという農薬が作られ、成功を収めた。発展途上の化学産業はさまざまな化学物質などを使って、ほかの病害虫をたたく方法も考えた。しかし長い間、彼らはもっともやっかいな問題に気付かずにいた。化学薬品はいずれ効かなくなるのである。2008年ある研究チームが「アメリカン・ジャーナル・オブ・ポテト・リサーチ誌」にこう書いた。現在も新たな殺虫剤が開発途上にあるが、それを使用しても、やがて病害虫は耐性を獲得するだろう。

 この内容は多くの示唆に富んでいるが、もっとも重要なのは、モノカルチャーの脆弱さであると思う。多様な作物、多様な技術が互いに支え合いながら進まなければ、このジャガイモの例のようになるだろう。