漣(さざなみ)農業日記

農業によせるさざなみから自分を考える

今押し寄せる波は、さざなみなのだろうか、荒波なのだろうか。

漣(さざなみ)の財産

農業ミニコミ誌漣(さざなみ)を3年間続けてきて、No-9の発送を終了しました。

今私は、情報誌の継続の難しさをつくづく感じています。今さら何を言っても継続できないことの言い訳になってしまうので、現在計画しているNo-10について少し書きたいと思います。No-10は、新しく原稿をいただく予定は2名の方のみで、その他の記事は以前の記事を再録します。スペースの関係から、すべての方の記事を載せることはできませんが、以前の記事をもう一度読み返してみるとそれぞれの方の農業に取り組む生き方がびんびんと響いてきます。

会員の方々は毎回の冊子の中で一度読んでいられるので、それ以外の今後農業をめざす人、あるいは農業を自らの生活の価値あるものとして大切に思う方々にむけて、「今後農業を志す場合に何が必要か」という観点から章立てをしました。内容は作文集のような色合いになってしまい、出版のプロの方に見てもらったら、「こんなもの売れない」と言われました。しかし、たとえ売れないとしても、私は一般図書として発行してみたいのです。会員の方や執筆いただいた多くの方にも協力していただき、売り切りたいと思っています。

それぞれの農業者の方々が重い口を開き、また忙しい中でペンをとっていただきました。これこそ漣(さざなみ)の財産です。農業者自身が自分の生き方を通して、他人に向けて自身を発信しているのです。体験こそ農業の財産であり、一人一人の農業人生そのものの中に力を与えるカギとヒントがあると思います。編集者としての私の力量のなさから、この最後の漣(さざなみ)は私の家に山積みになるかもしれませんが、今後よろしく協力をおねがいします。